気まぐれ日記 07年9月

07年8月はここ

9月1日(土)「自分の座標・・・の風さん」
 朝から青空が広がった。昨日は午前中雨だった。不安定な天気が続きながら、徐々に秋がやってくるのだろう。
 昨日、再校ゲラが届いてしまったが、月曜日に戻した初校ゲラの修正部分を、ワードファイルに反映する作業をやっと終了した。
 日本経営工学会の秋季大会で発表するための、予稿送付締め切りが近付いてきた。今日まで、長編執筆のために、大学院の勉強が中断していた。頭の中を戻すのが大変である。基本的に今年は一人で三人分(というより三役)をこなさなければならないので、老化防止に役立つかも……いや、そんな悠長なことは言ってられない厳しい環境である。恐らく、この状態は少なくとも3年は続く。
 夕方から、職場の飲み会に出るため、電車で出かけた。電車の中や駅の構内を眺めていると、自分の座標というものをあらためて感じる。決して特異な点に位置しているわけではなく、現実の世界の中の1点に過ぎないのだ。多くの人々が周囲を通り過ぎていくが、彼ら一人ひとりも必死に生きているに違いない。飲み会は、新たに入ってきた派遣社員の人たちの歓迎会だった。彼女らも人生の中の一時期を、我々と共に過ごすことになる。有意義な期間になってほしい。

9月2日(日)「遺影・・・の風さん」
 今日はどんよりとした天気で、気温もそれほど上昇していない。猛暑の夏は今度こそ去りつつあるのではないか。大阪で熱く繰り広げられた世界陸上も最終日である。日本は女子マラソンでメダルを獲得し、メダル「0」を免れたが、やはり女性が活躍する時代は、スポーツの世界でも顕著である。そのような中、男子400mリレーは立派だった。予選で38秒21という日本新記録を出したかと思ったら、決勝ではさらに記録を短縮し38秒03だったという(これは観なかった)。プレッシャーの中で、自分の力を出す、記録を伸ばすということは、大変なことだと思う。老化と戦っている私は、プレッシャーには強いが、基礎体力がどんどん低下しているので、根性も役に立たない。
 今度の文庫書き下ろしで、写真をつけませんか、と誘われている。表紙カバーの裏に、プロフィールと一緒につけようというのであろう。私の写真がついたからと言って、売れ行きには何の影響もないだろうが(かえって売れなくなったら困るが)、初めてのことではあり、チャレンジしてみたい。……が、良い写真がない。私の商品は作品であって、作家本人ではない。……と、カッコつけても始まらないか。はいはい、私は写真写りはダメで〜す(笑)。
 年内に講演が3つあり、そのうちの2つで写真を求められている。パンフレットにつけるのだ。1つ目には、我が家で「遺影」と呼んでいる「私が写真屋で撮ってもらった遺影用(なんだ本当に遺影じゃないか)写真」を提出した。2つ目は、これから提出するが、それも「遺影」にしようと思っている。
 文庫用は「遺影」では良くないと思い、夕食後にワイフにデジカメで撮影してもらった。しかし、どれも皆ダメ。急に本人が二枚目になったり若返ったりはしないのだ。そこで、別に2つの候補を考えた。1つは、日本推理作家協会のホームページに登録してある顔写真。もう1つは、今年、愛知工業大学大学院のパンフレット用に、プロのカメラマンが撮影してくれたもの。これも、ホームページからチェックできるので、ヒマな人はご覧ください。週末に、出版社と打ち合わせることになったので、そこで最終決定されるだろう。
 今日は、大学院の勉強をしていて時間がなくなったので、トレーニングに行けなかった。こうしてますます基礎体力が低下していくのだ。やれやれ。

9月3日(月)「やばかった防災訓練・・・の風さん」
 週始めの定例行事。やや早く出社し、神棚に安全祈願、作業服に着替え、ラジオ体操後に朝会……。
 昼前に、定例行事でない年間恒例行事があった。勤務先の全社一斉防災訓練である。
 地震を想定して、一次避難から屋外避難、さらに、火災発生とかのシミュレーションもやる。私の職場では、怪我人の発生と、行方不明者2名の発生があった。
 怪我人(派遣の女性でした)は職場防災隊の救護班が応急処置をした後、製作所の医務室へ搬送した。
 行方不明者は、なぜか日頃は誰も行かない厚生棟の屋上から、はしご車を使って避難となった。
 このはしご車による避難訓練をぜひ経験してみたいと思って、私は応募したが、製作所の防災隊の副団長を務める私は「ふざけるな」と叱られてNGになり、悲しい見学側になった。
 実際に応募したのは、期間従業員の若い女性2名で、高所からの救出に興奮してキャーキャー言っていたが、真剣な訓練風景ということで(?)しっかりカメラにもおさまっていた。ほとんど今日の防災訓練の主役と言えた。
 ところで、炎天下、ヘルメットをかぶって見学(検閲)していた私は、次第に頭がクラクラしてきて、おまけに顔面が痙攣までし出した。このままぶっ倒れて私が救出されるのでは、何とも面目ないため、必死に立ち続けていたが、いやー実に危なかった。
 来年はもう訓練にも耐えられそうもない。やれやれ。

9月4日(火)「11月の文化講演会・・・の風さん」
 さすがに猛暑日は減ってきたが、まだまだ残暑は厳しい。今日も、当地は33℃を超える暑さだった。そうは言っても、35℃を超える猛暑日をたくさん経験していると、33℃程度ではそれほど苦にならないのだから、おかしなものである。
 夕方、刈谷市中央図書館へ出かけた。11月25日(日)午後2時からの「文化講演会」の打ち合わせである。図書館協会の会長さん(高校の校長先生で、ご専門は数学)や、当然館長さんなどが出席された。私のこれまでのキャリアに基づいて、講演タイトルや内容などについて打ち合わせた。基本的に私はどのような依頼に対しても対応するつもりだが、手持ちのネタの中から選んでいただけたのはありがたかった。
 ここの図書館の取り組みで、非常に感心したことがある。朝の開館のときに、職員が玄関に並んで、歓迎の挨拶をされるのだそうだ。行政側の人たちでありながら、来館者をお客ととらえての行動である。そもそも行政側のミッションを考えてみれば、各部門にいる人は、地域住民のために奉仕するのだから、お客という発想は正しい。何でも法律の縛りの中でしか行動できない人たちだが、目的と手段をきちんと分けて考えることができれば、朝の挨拶のような行動は自然と発想され実施されるはずである。
 それでも、「わしはデパートに来たのではない」などと水を浴びせるような心ない反応をする来館者もいるそうで、日々のご苦労が思いやられる。
 雑談の中で、日本の漫画の優秀さについて語ったら、絵入りの黄表紙本が海外へ紹介された事例を見せられた。文化遺産の豊富な日本は、海外の研究者から見れば、研究対象の宝庫であろう。
 最後に、講演会場となるホールを下見させていただいた。コンサートもできそうな立派なホールで、200名以上が、階段状にゆったりと座って聴講できる。精一杯知人に声をかけて来てもらいたいと思った。入場は無料。ただし、整理券が必要で、11月になると配布が始まる。

9月5日(水)「ビデオカメラ初体験・・・の風さん」
 4週間に1度、会社の診療所で、血圧の経過観察を受けているが、ずーっと正常である。今日も112−76と低いくらいだった。
 今日は、急遽思いついて、現場作業をビデオ撮影することにした。問題点をいつでも誰にでも見られるようにするためだ。
 職場にビデオカメラが1台ある。それを使うことにした。通常なら部下にやってもらうのだろうが、今日の私は少しいじけていた。自分でやることにした。ところが、正直な話、私は自分でビデオを撮ったことがない。我が家にもないのである。ビデオカメラを購入した途端に、やたらと映像記録を残したくなって、その整理などのために、とんでもない時間を費やすことになるのを恐れたからだ。そうこうしいている間に、私は年をとり、ビデオカメラの性能は飛躍的に向上した。
 老化現象もあって、取り扱い説明書を読むのは面倒くさい。いい加減に読んで、そのわずかな知識だけで、先ずは動かしてみた。
 動いた。簡単にビデオ撮影できたのである。この間、10分とかからなかった。
 それで、安心して、バッテリの充電を開始し、満充電になってから、現場に直行。約8分間の撮影も、素人とは思えぬ出来だった(自画自賛)。フラフラ動かず、カメラもやたら動かさず、見やすいアングルから、しっかり作業の様子を撮影した。
 今どき、53歳にもなって、初めてビデオカメラを扱って、ビデオ映像を撮ったという貴重な体験談である。

9月6日(木)「迷惑電話・・・の風さん」
 変な台風9号が日本に接近している。どこで誕生したのか、突然天気図の右外から出現して、通常とは逆に真西に移動。日本を標的にしている。まるでゴキブリのようだ。
 会社ではいつも忙しいが、たまに自席を暖めていると、変な勧誘電話がかかってくることがある。自分がとらなかった時は、同僚が気を利かせて、不在だと伝えてくれる。折り返しこちらからかけさせるから、電話番号を教えてほしいと言うと、それはけっこうです、と答えるから、勧誘の電話であることはたいてい判明する。商談成立のために、外へおびき出すに決まっているのだ。もう二度とかかってこないように、死んだと伝えてくれ、とお願いするが、同僚は笑っている。嘘だとばれると、かえって剣呑(けんのん)である。
 今夜、その勧誘電話が自宅にまでかかってきた。知らずにワイフが受け取って、書斎までコードレスフォンを持ってきてしまった。
 たまたまバージョンアップソフトのインストール中だった私は、それが終わるまで話を聞いてやろうと、上の空で返事をしていた。用件は先物取引の話だった。以前、砂糖か何かで聞いたことがある。今回はガソリンだった。延々と相手の話は聞いて、こちらへの質問にはほとんど答えなかった。相手はせいぜい電話番号程度の情報しか持っていないのだ。こちらの年齢や職業、経歴など知らないのだ。だから、よけいな情報を与える必要はない。
 インストールが完了する頃、相手の話すネタ(きっとマニュアルがあるのだ)が切れてきた。現在の仕事で手一杯で、それ以外のことに手を出すヒマはないと伝えた。ものの見事に諦めさせることに成功した。相手は、会社の宣伝をして、話を打ち切った。こちらは長電話の労をねぎらった。
 アルバイトか下請けか何だか分からないが、いやな仕事をよくやるな、といつも同情してしまう。仕事につきたくて、実際は大卒なのに、高卒に限るという募集に応じて職を得た人がたくさんいた、という報道もあった。最近の新聞で、ピンハネがひどい派遣会社のことも知った。
 電話をしてきた人間が、早くまともな仕事につけることを祈りたい。

9月7日(金)「最後の打ち合わせで上京・・・の風さん」
 台風9号のせいで、昨日は東海道新幹線が不通になり、今朝までそれが続いていた。当地は昨日はいくらか雨も降り、風が強かった。その程度だった。
 今日は、夕方から出版社と最後の打ち合わせになるので、何としても上京したかった。
 幸い、新幹線も動くようになったので、午後から有休にして、のぞみで上京した。カバンにはゲラが詰め込んであったが、疲労がたまっていたので、行きの車中は爆睡となった。新横浜を過ぎる頃に目が覚めた。天気は晴れていたが、台風一過の雨と風の傷跡が散見される。川は増水していて、水のたまった空き地がある。樹木も何となくぐったりしていた。
 3時46分着で、打ち合わせは丸の内で4時からだった。再校ゲラに対する出版社側の指摘と、私の提案を元にした議論がいくつか続いた。難しい問題は少ない。いよいよ再校ゲラの最終提出が11日(火)着、と決められた。
 11月22日のジュンク堂トークセッションは、今回の作品がモチーフになっているので、それが終わった後、関係者で打ち上げをしたい、と提案したら、受け入れられた。うまく皆の都合がつけば、気持ちの良い仕事の終わり方になる。前回の『和算忠臣蔵』と同じだ。
 6時13分発ののぞみに乗ったので、東京滞在時間は2時間27分である。採算度外視のビジネスで、ちっとも自慢できない(笑)。
 帰りの車中はいくらか元気が出て、藤原正彦先生の本を読みながら、声を押し殺して笑った。面白い内容だし、私の何倍も文章がうまい。何とか真似したい。

9月8日(土)「近いぞ、六甲おろし♪・・・の風さん」
 ゲラの修正が最終段階だが、実は、同時に論文の用意もしている。学会の秋季大会のための予稿を、15日までに提出しなければいけないのだ。何せ、まだろくに研究が進んでいるわけではないので、これはなかなか厳しいものがある。どうせ、これからの3年間は、会社での27年間の集大成なのだから、新規な研究などは到底無理で、過去の仕事(それもほとんど同僚と部下が成し遂げたものだ)を学問的に整理することが精一杯である。それは分かっているのだが、ついつい背伸びしたくなる。
 朝から夕方まで、今回の文庫のための「あとがき」を書いたり、挿入する図の修正版を考えたりした。そこで、ギヤチェンジして、論文の予稿に入った。背伸びを諦めるのに、午前零時近くまでかかった。あとは、この見直した形で予稿を作成するが、やはり元部下の仕事を最大限利用させてもらうことになる。指導教官の大野先生から、元部下を連名にしなさい、と助言され、その通りにしたが、やはりそうしておいて良かった。先生の助言には素直に従うものだ。やれやれ。
 ゲラと論文に取り組みながら、頭の隅っこで、もう一つ、気にしていたことがあった。阪神タイガースの動向である。
 9連勝! 待望の首位。井川め、ざまあ見ろ(笑)。君に桑田ほどの根性があるか?
 鳴海風は、強い時の阪神ファンである。さすがに優勝したからと言って、道頓堀に飛び込むことはしないが、そろそろ机の中からタイガースグッズを出すのが楽しみである。あと、弱くても、落合ファンね。同級生だから。

9月9日(日)「再校ゲラの朱入れが終了・・・の風さん」
 陰暦九月九日、つまり江戸時代、重陽は五節供の一つで、諸大名は登城して祝詞を述べたと言う。
 私は朝から1階の食堂のテーブルで、老眼鏡をかけて、再校ゲラの修正に専念した。最後の最後なので、ものすごい集中である。こうなると手を抜くことなどできない。300ページ近い作品をちゃんと読んで、これが最後、と思うまで手を入れた。
 結局、夕方までかかり、それからパソコン内の元データを更新しながら、最も考えなければならない部分を熟考した。終わったのは午前零時近かった。悪戦苦闘の跡をワイフに見せてから、宅配の梱包をした。もはや論文に手をつけるだけの気力は残っていなかった。それでも、ワードデータと挿入図のpdfファイルを、電子メールに添付して、出版社へ送信した。
 今夜も阪神タイガースは延長戦をものにして、10連勝! 首位を堅持すると同時に、巨人を3位へ蹴落とした。

9月10日(月)「未明までかかって予稿を作成・・・の風さん」
 早起きしていつもの週明けを過ごした……が、眠い。宅配はワイフに頼んだ。
 フライングで帰宅し、夕食前まで仮眠した。こんな状態では予稿の作成ができないからだ。
 しっかり夕食を摂った後、書斎へ直行。ピンチの予稿作成に入った。何しろ、ほとんどできていない。とりあえず全体のレイアウトを決め、選択した図やグラフを適当な位置に貼り付けた。ワードファイルが指定されているので、こういった構成は慣れていない。文章がいい感じで入らない。
 出版社からのメールに、今回の文庫のカバーの装丁(案)が添付されていた。圧縮ファイルで、拡張子はSITである。見たことない。ネットで調べたら、Macで使われている圧縮ファイルらしい。解凍フリーソフトのあることが分かったので、早速ゲット。
 開いたら、中から、また知らない拡張子を持つファイルが出てきた。AIである。開けない。これもネットで調べたら、アドビ社のお絵描きソフトだった。体験版があったので、ダウンロードをしかけたら、400MB近くもあって、とんでもない時間がかかりそうだった。ダウンロード完了まで、予稿作成に復帰した。
 ようやくAIをインストールし、開いてみたら、およそ二つに分割されていた(たぶん)。AIソフト上で、これら二つを合体させ、上下関係や大小関係を、自分のセンスで調整して、PPTに貼り付け、さらにPDFファイル化した。とても綺麗な表紙である。芸術的だ。ファイルは電子メールに添付して出版社へ送り、私は満足していると伝えた。ついでに印刷して、ログキャビンでトールをしているワイフに見せに行き(この時点で、午前零時を回っている)、ハイな気分で自慢した。
 再三再四予稿に復帰。あとでワイフが夜食を運んできてくれた(まるで受験生だ)。
 ほぼ完成したのが午前3時。ぼやぼやしていると、次女か長男が風呂に入ってしまうので、シャワーを浴びに行った。それから、最後の手を入れて、大野先生へ電子メールで送付した。明日の夕方から打ち合わせる予定である。それから明日の準備をして寝たのが、午前4時半頃である。

9月11日(火)「とうとうヤマ場を越えたぜ・・・の風さん」
 眠かったが普段通りに起床した。今日は雨模様である。
 会社の仕事をちゃんとこなして、夕方から本山キャンパスへミッシェルで出かけた。この頃からかなり眠くなってきたが、予稿のことが心配で、寝惚けているヒマはない。だんだん雨も強くなってきた。有料道路と名古屋高速を利用して、ほぼ1時間で着いた。
 大野先生は早々と到着されていた。
 事務室からノートパソコンとプロジェクターを借りて、ゼミ室にセットした。
 スクリーンに映し出しながら予稿の内容について解説し、アドバイスを頂戴した。約1時間で終わり、少し雑談をして、本山キャンパスを後にした。先生は、まだ他の院生と用事があった。
 帰る頃には、雨は本格的な降りになっていた。
 帰りは下の道を通る予定だったが、自動車専用道路で事故渋滞があり、止むを得ず、有料道路を使って帰宅した。
 今年は年明けからずっとトップギヤで突っ走ってきた。予稿の提出締め切りは15日だが、本当にヤマ場を越した感じがする。夕食後、眠くてまた仮眠したくなったが、横になったが最後、明朝まで起きられなくなる恐れがあったので、書斎へ直行し、こうして気まぐれ日記を書いている。
 今夜の阪神は、今年苦手の広島と戦っているはずだ。僕も頑張っているから、阪神も頑張ってほしい。

9月12日(水)「首相辞任の背後には・・・の風さん」
 朝刊を開いて真っ先にスポーツ欄をチェックしたら(夕べは速攻でダウンしたので結果を知らず)、阪神タイガースが大敗していた。零封負けである(笑)。全チームに勝ち越さないと優勝はないぞ、と叫びたくなった。
 朝刊で次に気になったのが、小沢党首の発言だった。日本の危機、世界の危機にどう対処する気なのだろう?
 午前中本社へ出張し、午後製作所へ戻ったら、安倍首相の辞任がニュースになっていた。小沢党首の発言が安倍首相に今後の政局運営の自信を失わせたことを認識し、小沢党首に腹が立った。本気でもないことを言うな、と思った。あれは間違いなく、昨年来続いている政治家の失言と同じ範疇である。それと、これは作家としての推測だが、今や孤立無援となった安倍総理の辞任には、奥さんのひと言があったに違いない、と思う。表も裏もあってしたたかな政治家に囲まれた安倍首相は、首相に就任するには若過ぎたということか。とにかく、次期指導者は、日本と世界の幸福という高い志を持って、この難局を乗り切ってほしい。
 今夜は元気も戻ったので、学会発表の予稿の仕上げに着手した。課題はエクセルを使ったシミュレーションのやり直しとグラフ化である。数時間もあればできると思っていたが、これが激しい誤算だった。データの入力はそれほど多くなかったのだが、再計算をやらせるのに、新たな演算式を作ったため、これに手間取った。しかも、大昔のフォートランのプログラムのような自動計算ではなく、単なる表計算の繰り返しなので、「実行」という操作で一発で終わるわけではないのだ。マウスによるクリックとドラッグによる「コピー&ペーストの繰り返し」になり、頭が変になりそうだった。結局、全体の3分の1を終えて就寝したのが、午前3時半である。

9月13日(木)「エクセルの使い方で長足の進歩・・・の風さん」
 昨夜は入浴が遅くなったおかげで、ゴキとの遭遇を免れた(笑)。実は、浴室にゴキが出現したのだという。悲劇の主人公は次女で、退治したゴキは、巨大なチャバネ・ゴキだった。我が家に出現したチャバネ・ゴキとしては最大という恐ろしさだったという。
 今日も会社は超多忙だったが、予稿作成が常に気になっていた。だから、退社時には、明日の出社が遅れることを、同僚にほのめかすのを忘れなかった(笑)。
 帰宅して予稿完成に挑戦再開である。できれば仮眠してから取り組みたかったのだが、そのまま永眠してしまうのが怖かったので、書斎へ直行した。
 昨夜の続きである。単調な作業が始まった。今夜は何が何でも完成させるのだという決意があった。しかし、計算作業はほとんどコピー&ペーストの繰り返しである。これがイライラするほどの単調さとノロさだった。
 あっという間に日付変更線を過ぎた。通常の就寝時刻が来た。ワイフが夜食を運んできて、「おやすみ」を言われた。その頃、全く偶然なのだが、もっと簡単に演算式を入力していく方法が見つかった。演算式を入力したセルをそのままコピーして、同じ規則の計算をさせたい次のセルに貼り付けるだけだった。ちゃんと変数が次のセルに合わせて変換されるのである。しかも、これら同一の規則で計算された複数のセルをまとめてコピー&ペーストすると、同じ規則の計算がまとめて別のセルの列にも適用されることが分かった。
 加速した作業のお蔭で、何とか残り3分の2の計算が終わり、予稿原稿の全体レイアウトを見直して大野先生へメールし、就寝したのは午前5時半だった。

9月14日(金)「へろへろで予稿完成・・・の風さん」
 出社する頃、義父が来た。近くのゴルフ場で女子のプロゴルフ選手権(東海クラシック)があるので、それを観戦に来たのだ。定年退職し、古希も過ぎた義父は、何とか悠々自適の生活をしている。健康のお蔭で、我々係累も安心して自分の好きなことをやっていられる。これこそ幸福というべきだろう。
 今日も本社へ出張し、いったん製作所へ帰って、夕方また本社へ出張した。
 本社の仕事が終わって、同僚らはまだまだ仕事があったのだが、私だけは速攻で帰宅させてもらった。このように作家鳴海風は、多くの人たちの理解と応援と支援によって、かろうじて活動が維持できているのだ。ありがたいことだ。
 大野先生から全体レイアウトの「OK」もメールで頂戴しているので、後は計算結果をグラフ化して貼り付けるだけだ。ま、2時間もあればできるだろうと、タカをくくっていたが、また誤算だった。とにかく予稿のフォーマットのスペースが小さいのである。そこに小さなグラフを入れようとすると、せめて文字や数字だけでも目一杯大きくしなければならない。エクセル上でグラフの文字を変えて、それをパワーポイント上で再編集してからワードに写すという面倒なことをしているため、また時間がかかった。もっと簡易な方法があるのだろうが、今夜は思いつかなかった。
 終了したのが午前零時過ぎである。とにかく完成したので、大会事務局へ送信した。
 入浴し、予稿完成を祝って、ワイフとビールで乾杯したが、へろへろ状態だった。
 就寝は午前2時。

9月15日(土)「代々木八幡と自宅の距離・・・の風さん」
 今日は、新鷹会の野村敏雄先生のお見舞いをする計画だった。タイムスケジュールは前もって作ってあったが、この1週間の無理で、予定通り実行できるかどうか、大変心配だった。
 とにかく午前7時に起床できた。予定では、7時48分に最寄の駅を出る電車に乗るのである。
 しかし、フラフラだった(当然だろう)。元気だったら、バタバタと出発してしまうのだが、東京へ行くのに、これではよくない。エクスプレス予約の変更をしたりして、1時間遅れの出発とすることにした。
 行きの新幹線では爆睡状態だった。
 新宿から都営大江戸線で終点にある病院に、野村先生は入院されている。先月の17日からの入院で、そろそろ1ヶ月になるので、退院も近いと思いわれた。ご自宅へのお見舞いは避けたかったので、最後のチャンスとばかりに焦って今日、お見舞いに出かけてきたのだ。そのことは、1週間前にご自宅の妹さんに電話で伝えてあった。
 ところが、病室へ行ってみると、いらっしゃらない! 食堂や面会所などを捜索してもお姿が見えない。実は、特別許可が下りて、「1日退院」されたのだという。それは、まだ入院が長引くため、ご自宅へ史料の確認を兼ねて戻られたのだ。ノートパソコンを病室に持ち込んで執筆をされている野村先生なので、史料不足での執筆はさぞかしストレスがたまっていたことと思われる。
 ご自宅へ電話してみると、野村先生は意外とお元気そうで、今日私が来ることは承知していたが、勉強会へ出席するためのギリギリの時間である、お昼まで待っていてくださったとのこと。それを聞いて、大変申し訳なく思った。正直に言うと、毎月15日の勉強会に出席するかどうかも、明確には決めていなかった。限界の生活を送っている私は、今日のスケジュールも「出たとこ勝負」の側面があった。
 天気も良く、元気が残っていたので、それから勉強会に出席することにした。
 代々木八幡は例祭が行われていた。
 勉強会には平岩弓枝先生がご出席されていて、緊張した雰囲気の中で、作品の朗読がされていた。
 最後に、平岩先生から、様々なお話があった。その中で、「人間は理詰めではなく、感情で動く。ボーっとしたら人間は見えない。人間を理解すれば、文章に色気や艶が出てくる。それらがもし出来ないとすると、作者の感性が不足している。感性を磨かなければならない……」に感銘した。そのことを心掛けて文学修行しているが、それが間違っていないこと、しかし、その修行が至難の業であることを改めて認識した。
 勉強会は新人も増えているし、持ち込まれる作品も今日は4本と多く、活発である。
 2次会に1時間だけ出席して、午後7時に代々木八幡を後にした。最寄の駅を降りたのが午後10時45分で、ふと振り返ったら、バイト帰りの長男がヌーボーっと突っ立っていた(笑)。
 代々木八幡から自宅まで、実に4時間近い距離に自宅はあるのだ。

9月16日(日)「旅行代理店・・・の風さん」
 1週間分の寝不足を一気に解消するため、起床は正午(ンなバカな)。でも、よく寝た〜(笑)。
 たまっていた気まぐれ日記を一気に書き上げた。
 昨日の勉強会で、平岩弓枝先生に、ある会員が江戸時代の日記に記載されている内容について質問した。疑問点があったからだ。遠隔地で即座には知りえない出来事を、さもすぐに聞き込んだように書いてあったらしい。
「どうしてそんなことが分かったのでしょう?」
「後から書いた日記だからですよ」
 平岩先生は一蹴された。
 気まぐれ日記を後日まとめて書くことが多い私も同感である。私の日記にはやけに辻褄が合っている部分がある。そういう部分は疑ってかかった方がいい(笑)。
 夜に入って(昼過ぎに起き出しているので、夜の訪れは早い)、年内の旅行計画を立て始めた。先ずは、宿、ホテルである。
 HPをチェックすると、日本経営工学会の秋季大会の発表スケジュールが決まっていた。私は初日の夕方だった。場所は小樽(いい所だねえ)。日帰りは無理なので、ホテルを予約しなければならない。ところが、驚くことに、まだ1ヶ月以上先なのに、もう混んでいる!
 続いて、来月にはもう一つ旅行計画がある。岡山である。これも宿が必要だ。
 11月にはジュンク堂トークセッション、幕末史研究会での講演と続く。この宿も、だ。
 小樽でつまづいた私は、ホテルの予約で手こずった。だいたいNホテル系列、Tホテル系列、Pホテル系列で確保したいので、そこから当たるのだが、スイスイとはいかなかった。小樽では新千歳空港からの交通アクセスの配慮もしなければならなかった。
 結局、自分の旅行代理店をやっているだけで、夜は深々と更けていった。

9月17日(月)「残暑が厳しき折・・・の風さん」
 9月も中旬になったのに、残暑が厳しい。日中は平気で30℃を超える。今日はおまけに青空が広がっている。秋の空ではない。
 製作所に出社した後、本社へ出張し、また製作所へ戻った。今日はミッシェルに同僚を乗せて往復したのだが、帰りに幌を開けてオープンカー状態で走った。日差しが強くて死にそうだった。エアコンを入れて冷風を出したが、文字通り「焼け石に水」だった。
 平成19年度QCサークル東海支部の経営者フォーラムで講演をさせていただく。そのパンフレットが完成した。事務局が社内にいるので、そこから送ってもらったのだ。学会発表が終わるとすぐなので、これから徐々に準備しよう。
 久しぶりに森さんの自費出版のお手伝いをした。
 ベッドに転がって就寝前の読書を始めたが、エアコンを入れていても、暑いこと暑いこと。なんて残暑が厳しい年だろう。
 
9月18日(火)「忙中閑なし・・・の風さん」
 帰宅したら、辻真先先生から『戦国獅子伝』の続編が届いていた。トールペインティング教室の準備で忙しいはずのワイフが、それを見て狂喜した。今まで知らなかったが、こういった古代中国ものの漫画が好きなのだという。以前、肩の痛みである病院に通院していたときに、待合室にこの酒類の漫画がずらーっと置いてあり、このままずっと病気が治らなくてもよいと思ったという。
 11月の幕末史研究会主催の講演会の正式な依頼状が届いた。丁寧な文面で恐縮した。面白い話をしなければ。
 森さんの自費出版原稿の初校ゲラを出版社へ送る用意をした。
 学会発表の準備も少しした。
 相変わらず忙しい風さんである。

9月19日(水)「やっと38冊目・・・の風さん」
 出勤途中で、森さんの自費出版原稿の初校ゲラを投函した。
 昨日に続いて、今日も会社の仕事が多忙で、すばやく帰宅することができなかった。それでも精一杯働いたので、多少、気持ちは楽になって、帰宅することができた。しかし、疲労がどっと出てきた。
 夕食を摂ってすぐ寝てしまおうかと思ったが、雑用程度なら、心身フラフラでもできると思い、書斎へ直行した。根性で雑務をこなした。
 シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだが、すぐに右手が書棚に伸びた。
 読みかけの中村彰彦さんの『落下は枝に還らずとも(上)』を開いた。あと少しだったので、必死に最後まで読んだ。最近著しく読書のペースが落ちていて、今年やっと38冊目になった。

9月20日(木)「いけない父親・・・の風さん」
 ミッシェルで本社へ直行した。今日も残暑の厳しい日になりそうである。
 昼前に製作所へ戻り、昼食後、同僚のクルマで四日市へ出張した。いちおう背広とネクタイに変身したが、汗が滝のように流れる。
 夕方、製作所へ戻り、気にしていた治具図面の設計を始めたら、面白くなってしまい、時間の経過を忘れた。
 今夜は、名古屋から還ってくる長女を駅まで迎えに行く約束だった。
 あっと思った時は手遅れで、ケータイをチェックすると、もうすぐ最寄の駅に着くというメールだった。しかし、私はまだ製作所だ。
 結局、長女は夜道を歩いて帰宅することに(最近事件があって、危険なのは分かっていたのに……)。
 長女に20分遅れて帰宅。
 ワイフがいないので、二人で雑談している間に、次女のことも頭から消え去り、駅に着いたという連絡を受けて、慌てて迎えに行く始末。
 いけない父親の風さんでした。

9月21日(金)「不携帯電話・・・の風さん」
 今日も実に良い天気だった。
 午前中は製作所であくせくと働いた。昨夜、帰宅してから治具設計をしたので、その図面を専門家に見てもらい、構想に間違いがないか確認してもらった。比較的簡単な治具だったので「問題なし」ということになり、来週ばらして(部品図に展開して)再提出することになった。それ以外も全く時間的な余裕がない中で、スケジュールをこなしていて、ほとんど走り回っていたと言ってもよかった。
 昼食後、ミッシェルで別の製作所へ出張した。JMAの見学会に同席するのだが、かつて7年間もよく通った製作所なので、久しぶりに現地を見たかった。移動中のミッシェルの車内は、非常に暑かった。
 若い頃(20代後半から30代前半)に夢中で働いた工場にやって来ると、数え上げられないほど多くの思い出が胸に迫ってきて、感慨はひとしおである。
 実は、この製作所の近くの社宅に、7年間住んでいたことがある。近所に美味しいケーキを売る店があるので、帰りに買って帰った。
 帰宅して、ふとケータイを見ると、留守電が2件も入っていた。出版社からだった。今日が『美しき魔方陣』の校了日だったという。昨日に続けて、同じミスをしてしまった。これでは、携帯電話ではなく不携帯電話だ。

9月22日(土)「次作への想い・・・の風さん」
 9月半ばを過ぎても真夏日が続いている。町内会の草取りを終えて汗をぬぐいながら戻ってきたワイフと入れ違いに、私は製作所のある地域の交通安全立哨に出かけた。この交通安全立哨も一種の町内会行事である。今日の私は製作所の代表のひとりとしての参加で、大企業は社会的責任をこういった形でも果たす義務がある。
 主役は小学校の子供たちで、婦警さんやおとなたちに守られて、信号待ちで止まったクルマへ近寄ると、景品を渡しながら安全運転を訴える。始まって10分もしないうちに、子供たちは暑さで音を上げはじめた。道路わきにへたりこむ子もいる。気を利かせた婦警さんが、乗車人員の数だけ景品を渡すように促して、予想外の早さで行事を終わらせた。景品の切れ目が活動の切れ目なのである。
 帰りに2箇所で買い物をし、ミッシェルにも給油して、お昼頃に帰宅できた。
 昼食後、新刊の送付先の宛名シール印刷をしたのだが、これがけっこう手間取った。パソコンの作業よりも宛先の選択に時間を要したのだ。遠隔地の人はすべて出版社にお願いして送付してもらうので、地元は除くのだが、それでも71名になってしまった。月日とともに知人が増える。
 こういった作業をしながら、頭の隅っこでは、次の作品への想いが何度も浮かんでは消える。構想とかストーリーとかテーマといったものではない。まるで会社の仕事みたいだが、課題克服の想いである。次の小説では文章表現で格段の進歩を見せたいと思う。
 気まぐれ日記を書き始めた目的のひとつに、文章を書く習慣を維持することがあった。会社の仕事に追われていると、事務的な文章以外ほとんど書くことなく日々が過ぎていきかねない。せめてエッセイ風の文章だけでも書く習慣を、と思ったのである。今後は、短くても、この中に小説に使ってもいいような文章表現を考えて入れていこうと思う。そういう意味で、今日の書き出しはちょっとひねった(笑)。
 
9月23日(日)「惜陰(せきいん)・・・の風さん」
 あいかわらず疲労がたまっていて、今日は昼まで爆睡。何とか元気が戻った気がしたので、書斎にこもったが、気合を入れないとできない執筆までにたどり着けなかった。
 来月以降の過密スケジュールの調整や細部立案で、どんどん時間が経過していった。長寿医師で著名な日野原先生は、命というのは時間のことだ、とおっしゃっておられるが、確かにそう思う。人生の半ばを過ぎると、1分1秒も無駄にしたくないと思う。しかし、思いとは裏腹に、若い頃の集中力、瞬発力、持久力etc.すべてに欠ける。佐藤一斎の『言志四録(げんししろく)』にも「四十を過ぎて已後、はじめて惜陰を知る」とある。惜陰とは時間を惜しむことである。
 それにしても、来月だけで、東京、岡山、京都、小樽とあちこち出かけなければならない。その合間に、講演の準備はもとより、次の執筆を進めなければならないのだ。1分1秒が貴重である。

9月24日(月)「設計に夢中・・・の風さん」
 あっという間に週末が終わって、また会社が始まった。この気持ちはブルーマンデーというらしい。え? どういう気持ちかって? それはあなた、勤め人を長くやっているなら、たいてい分かる心理ですよ。鳴海風も例外ではありません。
 しかし、今日は少し違った。ある目的というか計画があったのだ。
 いつものように神棚に参拝しラジオ体操をし朝会を終えて、本社へ出張して会議を終え、昼食後に製作所に戻った。そこからが今日最もやりたいことのスタートだった。
 午後1時半。席につくなり、先日構想を考えた治具(じぐ)のばらし(部品図を書くこと)を始めた。私の職場には生産現場がある。当然改善案件はいくらでも出てくる。改善案が浮かんでも治具設計は本来はプロ(社内の専門家)がやる。うちには強力なサポート部隊がいるのだが、何しろ仕事が多くて手が回らないことも多い。第一に自分で考えた案件なので、これは自分で設計してみたかった。そこで、先週構想図を書いて、プロに見てもらったところ、「OK」が出たのだ。図面さえ書けばすぐに作ってくれるという。今日の午後は、幸い会議がない。その機会がようやく訪れたのだ。
 もう一度組立参考図をしっかり書いて、総部品点数8点の部品図を書き出した。CADもドラフターもないので、方眼紙の上でもっぱら定規とテンプレート、字消し板ぐらいしか使わない。別に使用する標準部品は社内システムで検索して選択した。最後に部品表を書き上げて、プロの控え室へ走った。午後5時だから、ばらしに3時間半かかったことになる。
 とりあえず私の設計通りの治具を製作し、試行した後、さらに改善を加えることになった。早速CAD図にしてくれるそうだ。満足満足。
 帰宅したら、日本数学会のパンフレットが届いていた。今年の市民講演会風景と昨年の出版賞受賞のところで、私の写真が掲載されていた。ありがたいことである。
 ワイフが実家で恒例のおはぎを作って持って帰ってきたので、夕食はおはぎとなった。食べ過ぎたせいもあって、午後10時前にダウンしてしまった。

9月25日(火)「蜘蛛、中秋の名月、ムカデ・・・の風さん」
 結局、昨夜から9時間も寝てしまった。昨日の図面作成に集中したせいだろう。
 出社し、製作所の駐車場でミッシェルから降りる時、ミッシェルの幌の天井から、小さな蜘蛛のカンダタがつーっと糸を引いてぶらさがった。私は左手の指に糸をひっかけてカンダタをすくいとった。すると、カンダタが指にからまった。そのままミッシェルを降りて、カンダタを外へ逃がした。
 私にとって青蛙はぴょん吉、蜘蛛はカンダタ(芥川龍之介の『蜘蛛の糸』参照)だ。
 今日も日中の気温は上昇した。真夏日である。その暑い盛りに、同僚の運転するスカイラインで、小牧市まで出張した。
 帰ってきたら、昨日の私の図面がCAD図になっていた。設計者の欄に私の名前のデータ印が押されていた。満足満足。うれしい。来週には物ができるだろう。
 日中の好天が夜に入っても続き、雲ひとつない澄んだ夜空に、中秋の名月がくっきりと浮かんでいた。妖しいほどの青白さである。照明がなくても、夜の空間はその正体を露呈している。
 書斎でメールチェックしたら、講演依頼が届いていた。今年12月とのことで、これで年内の講演は5つになってしまった。
 シャワーを浴びに浴室に入ったら、小さなムカデがタイルの上を走っていた。
(ムカデにも名前をつけてやらねば……)
 
9月26日(水)「席替えも自分でするよ・・・の風さん」
 来週の月曜日は10月1日である。会社でいうところの下期のスタートである。その機会に職場内の体制変更とそれにともなう席替えを予定している。
 リーダーである私が率先して、席替えをした。階下の現場近くへ移動したのである。
 これを機会に5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)も試みたので、時間がかかった。
 明日から新たな気分で仕事ができるだろう。
 28日に幕末史研究会の例会がある。11月の例会で講演をさせてもらうので、その宣伝ビラを作成して送信した。講演内容の予告である。

9月27日(木)「市民講演会講演録の編集・・・の風さん」
 今朝、製作所の階段を登っているときに、右ひざを痛めた。ミッシェルの中では、気が乗ればハンドグリッパを握って握力を鍛えている。弱っている時に無理すると何が起こるか分からない。注意しなければ。
 今年3月におこなった日本数学会主催の市民講演会の内容は『数学通信』に掲載された。ただし、残念ながら、挿入された図や表が本文の最後にまとめて掲示されていた。次の出版計画は『和算小説のたのしみ』(仮題)なので、自分でしっかり編集しておくことにした。
 ワードの中に図や表を挿入するテクニックは、学会発表の予稿をまとめるときに少し身についた。だから、そのテクニックを使って、全体を見やすく構成した。完成したファイルは、協力してくださった方たちへメール送信した。

9月28日(金)「これからの講演準備が続くよ・・・の風さん」
 朝から本社へ出張した。会議を終えた後、社内の某部署へ届け物を置いてきた。この某部署から来月30日の講演を作家として依頼されている。次第に時期が近付いてきたので、準備も加速されている。チラシに続いてレジュメの用意がされている。当日は、拙著の持ち込み販売も許可されたので、段ボール箱一つくらい持って行こうと思う。もちろん売れなければ、持ち帰りである。
 製作所へ戻る途中で、市内の図書館へ寄った。ここでも11月に講演をするのだが、それも勤務先の某部署からの依頼である。作家として講演するのは、来月と同様。こちらは1ヶ月先なので、まだチラシの準備段階である。ファックスで送ってもらったチラシは白黒で、色合いを見たかったので、その確認のために寄ったのだ。図書館は館内整理日で休館だった。スタッフの人たちにとっては多忙な日である。来月の講演のチラシは青が基調で、こちらは茶色が基調である。実は、同じ写真を使っているので、趣が違っていて良い。同じ市内での講演なので、来月、11月のチラシを100枚くらい配布しようということになった。
 午後、学会発表の準備の一環で、エクセルで作ったグラフを少し手直しした。来週になったら、発表資料を真剣に考えねばならない。あと、日頃なかなか手がつかない技術資料のチェックなどで、あっという間に時間が過ぎた。
 帰途、ミッシェルに給油して、さあ、週末頑張るぞ、と家になだれ込んだが、夕食後あっけなくダウンしてしまった。

9月29日(土)「アシュレイのバッテリが死んだ・・・の風さん」
 朝から雨模様。高2の次女がラグビー部のマネージャーをやっているので、ワイフがラグビーの応援に出かけた。イギリスで生まれたスポーツは、雨など関係ない。ワイフは濡れてもいいように、ウィンドブレーカーにビニールや布地のバッグ類を携えて出陣していった。
 ところが私は、疲労が激しくたまっていたらしく、昨夜から12時間も寝てしまった。
 いちおう元気が戻った気がしたので、今日は次の執筆の準備に専念することにした。しかし、頭の中では着々と考えが整理されていくのに、同時並行で雑用をこなしているので、それに著しく時間をとられて執筆準備に集中できなかった。
 ぐずぐずと深夜まで書斎に籠っているうちに、ケータイにメールが入った。階下のワイフからだった。「ワイン、飲も飲も……」という悪魔の誘惑だった。パソコンが途中だったので、アシュレイ(久々に登場するモバイルノートPCだ)を持って下へ降りて行ったら、な、なんと、アシュレイがシャットダウンしている! おっかしいなあ、と思って再び書斎へ持って帰って電源をつないでみたら、バッテリが死んでいた。寿命らしい。もう5年も酷使しているからなあ。
 二人でワインを1本空けた……と言うとカッコいいが、500mlしか入っていないワインだ。
 あ、そうそう、ラグビーの試合は勝った。

9月30日(日)「パーフェクトストレンジャー・・・の風さん」
 12月の初めに、ワイフがトール教室の2年に1度の展示会をやるので、その会場の予約に一緒に出かけた。それが終わってから、近くの名鉄の駅の近くのショッピングストアにミッシェルを置いて、電車で名古屋へ出かけた。私は多忙だが、実は靴が欲しかった。
 靴は何足も持って、交替に使うことで長持ちさせるのが私のやり方だ。しかし、それにも限度というものがある。10年も前に買った靴がさすがにくたびれてきた。それで、慌てて買うことにしたのだが、数年ぶりに靴屋を覗いてみると、何となく相場が上がった気がする。きわめてゆっくりでも好景気が続いてきたのだ。物価の平均値はあまり変わらなくても、上だけはどんどん跳ね上がってきたらしい。
 マドラスウォークというビジネスにもプライベートにも使えそうなやつにした。
 昼食に本場のカレーを食べ、ミッドランドシアターで映画を観た。昨日から始まった「パーフェクトストレンジャー」だ。始まって早々、ヒロインのハル・ベリーの美しさに目が釘付けにされた。ブルース・ウィルスは、ついこの間、ダイハードで観たばかりだが、今日の彼は、「薔薇の素顔」の時の彼で、セクシーさがあふれていた。一緒に観ているワイフが、このブルース・ウィルスと私を混同しているので困る(笑)。
 映画のキャッチフレーズは「ラスト7分11秒まで真犯人は絶対わからない」となっている。内容的には、それだけの意味しかない作品だった。

07年10月はここ

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